読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

へべれけ

ゲームとDTMと本と煙草と酒と泪と男と女

筋肉はタンパク質と優しさでできている -アサウラ 「生ポアニキ」-

筋肉は裏切らない

表紙からしてどうみてもビリー・ヘリントンです。本当にありがとうございました。
そういやビリー兄貴は今どうしてるんだろうね。ツイッター見てる限りじゃ今でも日本に興味はあるようだけど、今のニコニコのトレンドはなんかも品が無いというか昔のようなカオスな面白みがないし難しいだろうね。
自分も今じゃニコニコはあんまり見てないし。これもまた時流だろうね。

ジャンルとしてはハーレムラノベにありがちな押しかけ女房もの。だけど違うのはそこに筋肉もやってきたっていうこと。むしろヒロインよりも先に筋肉が押しかけてきてる。押しかけ筋肉。ボーイミーツマッチョ。
アニキというか筋肉というイロモノをぶっ込んではいるものの、物語の骨子はいじめによって引きこもり両親にも見捨てられた主人公ユースケが、バランスの良い食事と適度な運動、それにアニキと押しかけ女房ヒロインとの擬似家族によって自己評価と自信を取り戻すと言った実にまっとうな、アニキのハムストリングスのようにキレの良い成長物語。

筋肉とは慈悲である。

生活保護に恋愛扶助という、一度も恋愛を経験できなかった人間に政府が恋愛相手をあてがうという制度がある世界。なーんか今のおっさんたちが産めよ増やせよと寝言ぬかしているようなものに近いけど、まぁそれは置いておいて。
ちなみに恋愛扶助の設定だけを見ると、色々闇が見えてくるが(その闇は終盤で語られている)、やってきたのは自分好みの女の子ではなく筋肉モリモリマッチョマンの変態だったでござる。

アニキは早速だらしなく貧弱極まりないユースケを筋トレで以って心身ともに鍛え直していく。鏡の前にユースケを立たせ、貧弱な現実を直視させる。そして、そんな貧弱な現実とはおさらばだと、半ば強制的にユースケに筋トレを課し鍛え直させる。
そんなマッチョイズムも筋トレの世界でしか通じないことを暗にではあるが、ちゃんと示している。アニキの根性論は食事とユースケにとって無理のないと客観的に判断したトレーニングメニューという理論に裏打ちされたものであり、ユースケを叱咤する時もあくまでユースケのヘボさと視線に合わせて檄を飛ばしている。最後には「最高のフィニッシュにしようぜ!」と励ましてくれている。
アニキはマッチョな自分でなく、ヘボなユースケの視線に合わせて導いているのだ。「やればできる」と自分ができるからといって相手もできるとは決して考えていない。
なにをしても認められなかったユースケだったが、たった数回のスクワット、されどユースケにとってはあまりにもきついスクワットをどうにか成し遂げたことで大切な成功体験を得る。
アニキはユースケがヘボくて、乗り越えたハードルがどれだけ低くても、頑張ったらちゃんと褒めてくれるんだよ。その肉体で。
現実を見れば褒められること少ないよね。ほんと。
今のおれたちには、鏡の前での増えた自分のバルクだけだよ。

ただアニキは筋肉だけに頼ったネタやコメディリリーフだけに終わらず、心地よい距離感でもってユースケに接する。純粋に「男」として、大事なところで前を向かせてくれる師匠とも人生の先輩のような存在として、ユースケを良き方向へ導いていく。スクワットで。
また本ヒロインを差し置いて、アニキのほうがヒロイン力が高い。炊事洗濯もできれば肌色成分も多く、滅茶苦茶日常をかき乱しまくる。というか作中のトラブルの大半がアニキ産。

筋肉はどんな肩書や顔の良し悪しをも上書きする。なんでもかんでもカテゴライズしレッテルを貼るようなクソみたいな世の中、だったらマッチョになってやろうじゃないかとアニキが諭す。なぜならどんなにブサイクでもそいつがマッチョならブサイクではなくマッチョにカテゴライズされるからだ。マッチョは全てのカテゴリーやレッテルを塗りつぶすパワーを持っている。

物語全体で「強い人間ほど人に優しくなれる」とアニキは語っている。その肉体で。実に仕上がっている。

読後感もまた爽やかに終わるが、よくよく考えたらやっぱりアニキの印象が強い。
ヒロインもなかなかクセのあるキャラだけど、最後に残る読後感はやっぱりアニキの筋肉だった。

かくいう自分もIT業界というクソみたいな仕事で日々キーボードを叩いて身体のバランスを崩しているので、筋トレを始めた。これでも高校生の頃は腹筋割れてたんだよ?
ちょいとばかし二の腕も太くなり肩幅もついてきて、そろそろジム通いでもはじめようかなとも考えている。目指せシックスパック。

生ポアニキ (オーバーラップ文庫)

生ポアニキ (オーバーラップ文庫)