へべれけ

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今ここで見えている虐殺の文法 ―伊藤計劃「虐殺器官」―

人は見たものしか見ない

学生時代に読んだことがあったけど、その時は「うぉーメタルギアみてー! すげーすげー!」と読んで無邪気にはしゃいでいただけだった。ここ最近仕事のストレス解消というか、「オデッセイ」を見て上等なSFを読んでみたくなったので、久しぶりに読み返した。
SFガジェット、核抑止論の崩壊、PMCによる代理戦争などメタルギアに大きく影響されたものは数多く見られるけど、この物語の根本と言えるもはメタルギアとは全く違うものだ。

初めて読んだ当時は、ひょっとしてこの本全体が、クラヴィスが虐殺の文法を使って書いた小説なのか、あるいはこの小説自体が虐殺の文法なのかと思った。それは自分の寝言に過ぎないだろうけど。

だけど耳にまぶたは無い

作中で利用されているSF的なガジェットを構成している人工筋肉がイルカやクジラを原料としているのも、シーシェパードをはじめとした白人の身勝手な価値観に対する著者の意趣返しなのか。それともただの悪趣味か。そんな悪趣味は自分は大好きだ。作中でその事実にクラヴィスが愕然とするのも、また実に愉快痛快だ。母に安楽死という引導を渡し、虐殺を見て渡ってきた無宗教という価値観も白人の価値観に根付いて縛られたものだったという矮小さが実にいい味を出している。

ハチロクが遠い国で銃座になっていたり、各所にモンティ・パイソンネタが散りばめられていたり、かと思ったらトムクランシーネタがあったりと、パロディが散りばめられてはいるが、その使い方も特に前半のイニシャルDのネタを使っての言語についての会話はまさに、物語の根幹となる虐殺器官と虐殺の文法とは何かについてにつながる重要な場面で、そのネタの使い方は秀逸。
でも、「プライベートライアン」の序盤を見ながらピザをパクつくのはどうかと思う。

文体としては「虐殺器官」というおどろおどろしいタイトルとは対照的に、主人公のアメリカ軍暗殺部隊のクラヴィス・シェパードが「ぼく」という一人称の視点でナイーブに淡々と物語っている。平坦な文章で読みやすい。
少なくとも30代であるクラヴィスが「ぼく」という一人称であるのに違和感を覚えるが、「ぼく」という一人称によって語られる血と死体と虐殺というクラヴィスの思い描く「死者の国」が良いアクセントになっている。

作中では虐殺の文法は一体どのような言語体系なのかということははっきりと描写されていない。まぁ実際にそんなものを実際に具体的に書かれたら困るし、なにより虐殺の文法自体はこの物語におけるSFガジェットの1つに過ぎないのだから。
設定としてはポルポトヒトラーなど、世界のあまねくところで繰り広げられた虐殺の中心にいた人物の言語パターンを解析、その中で人の中にある虐殺を司る器官を活性化させる(おそらくは倫理観とかを麻痺させるのだと思う)言語パターンを見つけ出し、それをそらんじてみせることで自分がなぜ虐殺をしているのかわからないまま虐殺を行わせることが可能だという。
一方のクラヴィスたちには作戦時に知覚しているであろう痛みや恐怖、罪悪感や良心の呵責という感情へのマスキングがカンセリングによって施されている。銃で撃たれた痛みは知覚するが痛みに悶えることはない。少年兵を射殺することに罪悪感は知覚するが、それに悩まされることはない。この両者は見逃しちゃいけない対比だろう。

でも現実、人間は自分の瞼さえコントロールできていない

自分はネット、とりわけSNSこそに虐殺の文法が見え隠れしているのではないのだろうかと考えている。この本を読んでいて、そんなことを考えた。

見たい情報だけを見て、いらない情報は切り捨てる。自分にとって必要な情報とそうでない情報を切り分けて摂取して受け売りではなく消化することが、自分が思っていた以上に実は上等なスキルだったらしい。その証拠に、ネットはいつも毎日どうでもいいことで炎上している。ところで、あなたは先週何が炎上していたがすぐに思い出して声に出して丁寧に説明できますか? なんでそれが悪いことだと思ったのか言葉を口にして説明できますか?
つまりはその程度のことだ。

発声によるコミュニケーションは意外じゃないかもしれないが、案外めんどくさい。声を出すには色々動かすには面倒くさい筋肉を総動員してトーンだ、テンポだ、なまりだ、速さだ、噛まないようにするだのと神経を使う。その過程で言葉を選んでいくことになるのだろう。声というインターフェイスは言葉を選ぶフィルターでもあるわけだ。一部、ずけずけとモノを言える人もいると思うが、それにしたってその人になり無意識に言葉は選ばれていると考えられる。
その証拠にみんなツイッターで「王様の耳はロバの耳!」と叫んで、フェイスブックでは等身大とは似ても似つかない肥大化させた自分を見せびらかしている。ネットじゃ普段言えないことを言えるのは、キーボードを叩いたりフリック操作で文字を打ち込み声というフィルターを用いないということで、むき出しの思考や精神状態を露わにしてしまうのだろう。

仮に虐殺の文法が浸透するとしたら、それはきっとネットからだ。

フェイスブックの「いいね」やツイッターのフォローフォロワーRTふぁぼの数とにらめっこしている。旭日旗を掲げているアイコンがソース不明の情報を上げて、ぷんすか怒っていたり、まとめブログが故意に誇張したり捻じ曲げた記事に一喜一憂して、今日もどこかで根本的に勘違いしているフェミニストやら自称人権派の弁護士がいもしない被害者を掲げて、ヒステリックに誰かを殴り殺している。一触即発とは言えないものの、自分たちの足元にはいつの間にか火薬がばらまかれているようだ。クラヴィスが思い描いた「死者の国」まであともう少し。自分もピザを買いだめしておかなくちゃ。


そんなこんなで書評なんてものを書いてみた。書評というのもおこがましいか。単なる読書感想文とうことで。
映画の公開が待ち遠しい。

とりあえず、ジョン・ポールが最期に残していた虐殺の文法のエディターが欲しいな、どんなんだろうな、なんて。

虐殺器官 (1) (カドカワコミックス・エース)

虐殺器官 (1) (カドカワコミックス・エース)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)